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海の見える村の一年 [本]

新農村歳時記
杉浦明平著

内容紹介:1959年9月からの一年間。愛知県知多半島の先端、福江という村の記録。伊勢湾台風による被害に加え、その後の台風でまたしても被災する。農業、漁業を主な生業とする村の人々の暮らしの詳細な記録

杉浦明平(すぎうら みんぺい) 1913年-2001年。日本の小説家、評論家

1960年といえば自分が生まれた頃の話。仙台とは遠い愛知県の海辺の村での暮らしぶりが興味深い。田畑での農業、海での漁やノリ養殖、里山での松茸取りなど、さまざまな作業や行事が次々と出てきます。すべては天気に左右されるし、当然作物には良作不作がでる。旧正月が新正月へ移行しようとしているし、テレビを持つ人が増えてきている時代。トラクターなどの農機具も登場し始めていた。金融公庫からの融資あり、災害後の仮設住宅あり、村内での縄張り争いや盗難あり。当時の写真が面白い。
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故郷忘じがたく候 [本]

司馬遼太郎著

内容紹介:十六世紀末、朝鮮の役で薩摩軍により日本へ拉致された数十人の朝鮮の民があった。以来四百年、やみがたい望郷の念を抱きながら異国薩摩の地に生き続けた子孫たちの痛哭の詩「故郷忘じがたく候」。他、明治初年に少数で奥州に遠征した官軍の悲惨な結末を描く「斬殺」、細川ガラシャの薄幸の生涯「胡桃に酒」を収録

鹿児島県の苗白川という場所に朝鮮の陶工たちが暮らした。豊臣秀吉が朝鮮半島征服を目指し、陶工たちの故郷である南原城が陥落し、そのどさくさで日本へ流れ着いた人々。苗白川付近が故郷の景色に似ていたことからそこで暮らし始め、陶土を探して茶碗を作り続けた。島津藩からは厚い保護を受けていたらしい。司馬遼太郎氏はその地を訪れて、14代目となる陶工、沈寿官氏と交流することになるのですが、そうなるまでの偶然が興味深い。何代にもわたって引き継がれてきた深い悲しみがありながらも、おおらかに美しい集落で生活をしてきた人がいるのだなぁ。

現在、鹿児島県日置市「薩摩焼の里 美山」だそうです。私も司馬遼太郎氏のように旅してみたい。
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梅まつり

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快晴

「コロナの1日の感染者数は減ってきてはいるものの、未だ余談を許さない状況であるから、今一度ここで気を引き締めて不要不急の外出を控えるように」という小池都知事の言葉がテレビから流れてきました。もうしわけありません! あと少しの我慢ができませんでした。暖かな陽気に誘われてフラフラとお出かけしてしまいました。温泉に入りたかったのと、花を見たかったのと、美味しい蕎麦が食べたかった。あー
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2月16日、猿江公園 [植物]

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ヒメオドリコソウかな

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カワヅザクラだ

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水辺近くにリュウキンカ

大雨の翌日の猿江恩賜公園。原っぱの真ん中に大きな水たまりができていて、ハクセキレイの夫婦が水を飲んでいました。細い流れの中にはカモ。その近くでリュウキンカが咲いていました。ツヤツヤとしてパキッと大ぶりな花が目立ちます。ウメは桃色のも白も満開でした。もう春だ。
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2月13日、地震

コロナ感染拡大のために1月8日、緊急事態宣言が出ました。以来、自粛生活していました。茨城県東海村へも行けません。緊急事態宣言は継続中ですが、13日夜、大きな地震がありました。家の点検のために出かけてきました。レンタカーでドライブ。天気はうららかだし、常磐自動車道は交通量が少なく渋滞もなくて至極順調でした。ちょうど岩間駅前での「バザールdeいわま」開催日だったから立ち寄り、のんびりと見学。フリーマーケットなのですが、農機具が多いのが特徴で、そこが良いです。

岩間駅前から岩間ICへ向かう途中に、小田喜商店があります。栗は笠間の特産品です。冷凍むきぐり、ぽろたん焼き栗、栗きんとんを買って、モンブランアイスを店先のベンチでペロリ。

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ゆるキャラがいました

小田喜商店 https://www.kurihiko.com/

東海村の家に地震の被害はありませんでした。一安心。
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